水子供養はしない方がいい、は本当?やらないリスクとは

身近な人が亡くなり、さまざまな葬儀や供養の方法を調べるなかで、「水子供養はしない方がいい」という話を耳にすることがあるかもしれません。実際に、水子供養を行わずに放置しても問題ないのか、あるいはやらないことで何か悪いことが起きるリスクがあるのか、気になる方は多いでしょう。本記事では、水子供養の目的や必要性、行わないリスクなどを詳しく解説し、正しく理解していただくための情報をまとめました。
「水子供養はしない方がいい」という噂は本当?
ここでは、水子供養を行う・行わないの選択に迷っている方に向けて、「水子供養はしない方がいい」という噂がどのような誤解から生まれるのかを説明します。
まず「水子供養はしない方がいい」という話がどこで広がっているのかと言うと、多くはインターネットや周囲の人の言葉からだと言われています。しかし水子供養は、親が流産・死産・中絶などでこの世に生まれることのなかった子ども(水子)を想い、心の整理や癒しを得るための供養です。仏教の教えでは水子の霊に「たたり」はなく、あくまで親の心を安らかにするための行為なのです。
人によっては「しない方がいい」と言われる理由として、「費用がかかる」「後ろめたさを持ちたくない」「お寺で手続きをするのが面倒」などがあげられます。しかし水子供養そのものにネガティブな意味や悪影響があるわけではありません。むしろ、子どもを想い、心の中の整理をつけるひとつのきっかけとなる大切な供養行為です。
水子供養の必要性と目的
ここでは、水子供養がなぜ必要とされるのか、その目的はどこにあるのかを解説します。
親の心の整理と癒し
水子供養は強制されるものではありません。大切なのは、親自身が「水子に何かをしてあげたい」「水子の存在を大切に思いたい」という気持ちを持った時に行うことです。仏教の教えのなかに「水子のたたり」という考えはありませんが、流産・死産・中絶で失われた生命を悼み、自分の心を整理することは、とても意義ある行為とされています。お寺によっては、読経や法要を通じて、親の気持ちに寄り添ってくれるところが多いです。
また、水子さんに安らかに過ごしてほしいという思いが強い場合、供養を行うことで「ようやく前に進める」と実感できる人も少なくありません。親の心理面を支援するという意味合いが、とても大きなポイントです。
仏教の教えと「罪・汚れ」の誤解
一部、「水子は罪深いから供養をしなくてはいけない」という誤解が存在します。しかし仏教の教えでは、水子に罪や汚れはなく、全ての命は仏の慈悲のもとで平等に尊いとされています。もし罪悪感や恐れがあって水子供養を検討している方がいれば、まずは水子に「罪・汚れ」という概念が仏教には存在しないことを知っておきましょう。供養は罪悪感から行うものではなく、子どもを思い、親の胸に抱く想いを整理する行為だと言えます。
水子供養を行わないリスクと影響
ここでは、水子供養をあえて行わない場合にどのような影響があるのかを考えてみます。
心のわだかまりを抱え続ける可能性
「水子供養はしない方がいい」という意見を聞いてやめてしまった結果、後になって自分の心に整理がついていないことに気づく方も少なくありません。特に流産や死産、中絶などの経験は、親の中に複雑な感情を残しやすいもの。供養を行わないまま長期間放置すると、自分でも気づかないうちに深い喪失感や罪悪感を抱えることがあります。
こうした感情は時間が経過しても簡単には消えず、日常生活に悪影響を及ぼす場合もあります。子どもの霊のためというよりは、親自身の心をケアする行為として、水子供養は大切なのです。
後から後悔するケース
インターネット上では「水子供養なんてしなくていい」という声が見受けられますが、実際に供養をしなかった人が大きな後悔を抱えて辛くなってしまったというケースもあります。一度通り過ぎたタイミングを逃すと、タイミングを失ってさらに苦しむことになるかもしれません。水子供養には決まった時期はないとはいえ、何年も経過してしまうと、より供養を申し込みにくくなる心理が働くのも事実です。
このように、「しない方がいい」と考えていたがために、後で「やっぱりやっておけばよかった」となってしまう方もいるため、リスクとしては親自身のメンタルヘルスに悪影響をきたす可能性があることを押さえておきましょう。
水子供養を行うタイミング
ここでは、水子供養を始めたいと思った時に、いつ行うべきかの目安を紹介します。
水子供養を行うタイミングには、特に厳格な決まりや期限はありません。流産・死産・中絶後、すぐに行う方もいれば、数年後・十数年後に行う方もいます。仏教的には四十九日や一周忌、または年忌など区切りの良い日を目安に行う方もいらっしゃいますが、「自分や家族の心の準備ができた時」が最適とされています。
また、一度行った後に「また供養したい」という気持ちが強まるケースもあります。水子供養は一度きりではなく、必要だと思った時に改めて行うことが可能です。何年も悩んでしまうより、早めにお寺に相談してみるのもひとつの手段です。
インターネットと水子供養の事情
ここでは、現代社会におけるインターネット活用と、水子供養の関係について見ていきます。
検索から始まる水子供養
昨今、インターネットは葬儀や供養に関する情報収集の大きな手段となっています。若年層だけでなく、幅広い年齢層の方が「水子供養はしない方がいい」などのキーワードで検索し、情報を得るケースが増えています。ただし、そこには正確ではない情報や極端な主張をする記事も混在しているため、信頼できるお寺や専門家の情報を参照することが望ましいです。
プライバシーと遠方のお寺を選ぶ理由
水子供養を行う際に、わざわざ遠方のお寺を選ぶ方も少なくありません。その背景には「誰にも知られたくない」「近所のお寺だと知り合いに会うかもしれない」というプライバシー重視の考えがあります。インターネットで検索し、全国から申し込みを受け付けているお寺を見つけて依頼するという流れも、いまや珍しくなくなりました。
水子供養の進め方
ここでは、実際に水子供養を申し込むための基本的なステップを紹介します。
1.事前の連絡・予約
多くの寺院では、供養日の予約や問い合わせを電話やメールで受け付けています。いきなり当日に行っても対応できない場合があるため、必ず事前に連絡してから供養日を決定しましょう。誤解やトラブルを防ぐためにも、詳しい段取りや費用についてしっかりと確認しておくと安心です。
2.当日の服装・持ち物
供養の際の服装は、厳密に決まっているわけではありません。しかしあまりにも華美な格好や露出の多い服装は避けるのが一般的です。数珠を持っていれば持参するとよいでしょう。また、エコー写真を手元に残している場合は、事前にお寺に確認したうえで持参できることもあります。供養に使用した後は持ち帰ることができる所もありますので、相談してみてください。
3.法要・読経の流れ
当日は住職や僧侶が読経を行います。地蔵菩薩や観音菩薩、あるいは各宗派の教えに基づいて、水子の安らかさと親の心の平穏を祈念する法要が執り行われます。親自身は焼香や合掌を行いながら、水子を想う時間を過ごします。このとき、気持ちが高ぶって涙があふれる方もいますが、それは自然なことなので無理にこらえる必要はありません。
4.お布施の目安
お布施は、1万円前後を目安とする寺院が多いようです。しかし、これはあくまで「お気持ち」であり、経済状況によって調整しても構いません。お寺によっては、お守りや授与品の費用が含まれている場合もあります。事前に確認しておけば、当日に慌てることなく供養に集中できるでしょう。
供養後の水子との向き合い方
ここでは、水子供養を終えた後に、どのような気持ちで生活していけばよいのかを解説します。
供養を行った後は、「もう終わり」と完全に忘れてしまう必要はありません。大切なのは、供養を機に自分の心の負担を少しずつ軽くし、新しい一歩を踏み出すことです。実際、多くの寺院では「いつでもお参りに来てください」と親を温かく迎えてくれます。
また、お寺によっては一定期間後にお守りや授与品の返納を推奨する場合もあります。これは「形あるものを預けることで、気持ちに区切りをつけやすくする」という意味合いがあるようです。親自身が前向きになれる形で、水子を想い続けることが大切です。
戒名は必要なのか?
ここでは、戒名を付けることの意義や必要性を考えてみます。
水子に戒名を付けるかどうかは、寺院や両親の考え方によって異なるのが実情です。戒名は仏門に入る際の名前のようなもので、ありがたいものではありますが、必ずしも水子に戒名を授けなければいけないわけではありません。むしろ戒名を希望する人は少数派であり、必要性を感じない人が多いとされています。
親がどのように水子の存在を受けとめたいのか、お寺や家族と相談して決めるとよいでしょう。無理に戒名を付ける必要はないものの、「付けたい」という気持ちがあれば、お寺に依頼してみるのも一つの選択肢です。
浄土真宗における水子供養の考え方
ここでは、宗派によっては習慣の異なる「水子供養」の扱いについて、浄土真宗を例にご紹介します。
浄土真宗では「水子供養」という慣習はなく、独自の法要は行われない場合が多いです。浄土真宗の教えでは、すべての命は阿弥陀仏の慈悲によって救われるとされており、特別な供養の儀式を行わなくても、往生できると考えられているからです。
しかし、その一方で現実には、親が流産や死産、中絶といった形で子どもを失い、深く悲しんでいるという場合があります。そのようなときは「供養」ではなく「読経」という形で、遺族の気持ちを支えることもあります。つまり、形こそ違えど、寄り添いの心をもって水子を想い、親をいたわる姿勢が大切とされています。
水子の命についての誤解
ここでは、「水子の命」にまつわる罪や汚れといった俗信の誤解を解きほぐします。
仏教には、「流産や中絶による水子が罪や汚れをもっている」という教えはありません。むしろ「すべての命は尊く、仏の慈悲によって平等に救われる」と説くのが一般的です。親がどうしても罪悪感を抱いてしまう場合でも、それは人間として自然な感情であり、仏教的には罰やたたりではなく、あくまで親の心の問題として考えられます。
こうした俗信は時代や地域によって根強く残っていることもありますが、多数のお寺や住職は「水子はたたらない」「親の心を癒すための供養を大切にしよう」という立場です。水子が「不幸を招く」「現世に悪影響を及ぼす」といった噂を鵜呑みにせず、正しい知識を持つことが大切でしょう。
水子供養の費用とお布施について
ここでは、水子供養にかかる費用面についてもう少し詳しく解説します。
お布施の相場は1万円程度と言われることが多いですが、都市部や名刹(有名なお寺)などではもう少し高めの費用が設定されている場合もあります。また、供養の形式や授与品の有無によって費用は前後します。お守りやお札などをいただくと、別途初穂料やお礼として金額を包むお寺も存在しますので、事前に相談・確認しておくのがベストです。
なお、お布施の金額は定価ではありません。あくまで「お世話になるお寺への感謝の気持ち」と捉えて無理のない範囲で包むようにしましょう。経済的な理由などで難しい場合は、その旨を正直に相談することで柔軟に対応してくれるお寺もあります。
水子供養で大切にしたい気持ち
ここでは、水子供養を行う上でどんな姿勢や考え方が大切か、改めてまとめます。
水子供養は、「しない方がいい」「やらない方がいい」というものでは決してありません。大切なのは、親自身が「あの子を想う気持ちを大切にしたい」「心の整理をつけて新たな一歩を踏み出したい」と感じた時に行うことです。水子の命を尊びつつ、同時に自分の心を少し休めてあげるために供養を検討してみましょう。
周囲の意見やネット上の情報、費用面の不安などから踏み切れない方もいるかもしれません。しかし、もし水子のことを思い出すたびに辛さや罪悪感が募るのであれば、一度お寺に相談してみるという選択肢を考えてもよいでしょう。いずれにせよ、供養は「やった方がいい」「絶対にやるべき」と強要されるものではなく、親の心を救うための手段であることを理解しておくと、少し気が楽になるはずです。
まとめ
ここまで、水子供養の必要性や目的、「水子供養はしない方がいい」という噂の実態、そしてやらないリスクなどを詳しく解説しました。水子供養は必須ではありませんが、親自身が心の整理を進め、前を向いて生きていくための大切なステップとなり得ることをご理解いただけたでしょうか。
- 水子供養は、水子のたたりを防ぐためではなく、親が心の整理と癒しを得るために行う。
- やらないまま放置すると、後から後悔や心の重荷につながる場合がある。
- 水子供養のタイミングや方法は自由であり、強制されるものではない。
- 費用やお寺選びなど不安があれば、まずは電話やメールで相談してみるのがおすすめ。
もし水子についての悩みが少しでもあるなら、一度お寺に連絡してみたり、詳しい情報を調べたりしてみてください。あなた自身が前向きな答えを出し、穏やかな気持ちで過ごせますように願っています。

監修 角田(株式会社葬儀のこすもす)
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